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還流独歩

東北視察 その4 2012.03.27

そこから海岸方面へ下る。かつて、住宅がたくさん建ち並んでいたと思われる場所には、基礎だけが残っているだけで何もない。常磐線があったと思われる場所も、説明を受けなければまったくわからないような状態である。南三陸町でも感じたが、この地に、一体、どうやったら戻って来れるのだろうか。いや、失礼な言い方になってしまうが、帰って来る意味があるのだろうかという気持が沸いて来る。

次に、山元町の北に位置する亘理(わたり)町へ入る。こちらもほとんど同じ状況である。興味深いのは、阿武隈川の堤防の脇にある住宅の損壊状況だ。この川は、太平洋に流れ出る前は、海岸とほぼ平行の南向きに流れているが、河口のすぐ手前で向きを真東に変える。つまり、川に沿って造られた堤防は、海岸線に対して平行な部分を経たあと、海に向かって直角に、真っすぐ伸びる形状をしている。

住宅の損壊が大きいのは、河口に近いところではなく、そこから少し上流の堤防が海に対して平行になっている部分である。あくまでも仮定でしかないが、津波は一旦堤防に当たるものの、そこを越えると逆に勢いを増し、その先にある住宅を次々に破壊して行ったと考えられる。一方、堤防が海に対して直角になっているところにある住宅は、損傷を免れている住宅がいくつもあることを見ると、この部分に到達した津波は堤防をゆっくりと越えて来た可能性がある。

昼食を済ませて、仙台空港を視察する。外壁や内部には汚れなどまったくないから、津波の被害を受けた痕跡など見当たらない。空港再開まで、おそらく大変な作業だったのだろう。到着ロビーに垂れ幕のようなものを持った人たちがいたので、よく見てみたら、甲子園の春の大会に出場した石巻工業高校が帰って来るところだった。残念ながら、一回戦で敗退したようだが、地元の人たちに元気を与えてくれたのだと思う。

仙台空港から名取市の閖上(ゆりあげ)地区へ向かう。ここは、津波を受ける生々しい様子が、世界中に発信された場所の一つである。その昔、漁師が船を出すかどうかを見極めた、高さがわずか7-8mの日和山だけが残っているだけで、他はほとんど何もない。自分がここに住んでいたとしたら、一体、どんな気持でこの光景を見るのだろうか。そして、すべてを失うということを、果たして受け入れられるものだろうか。

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