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還流独歩

東北視察 その5 2012.03.28

次に、美田園駅の近くにある閖上の仮設市場を訪ねる。ここを視察したあと、かまぼこの生産を行なって来た某会社の社長から話を聞く機会を得た。最初に津波の被害を受けたときの生々しい様子を、写真を見せながら語ってくれた。一階にあった機械はすべて流され、本人は、その隣りにあった事務棟か何かの屋上に避難して助かったという。おそらく、そんな人たちがたくさんいるのだろう。

そして、この地区が抱える問題について聞くことができた。まず、現地再建が原則としてあって、集団移転をするなら全員一致が求められること。それができないなら、中途半端な形で復興が行なわれてしまうということだ。また、軽々しく高台移転と言うけれども、実際問題として、平らなところは少なく、大規模な造成などを行なう必要があるなら、今度は地震による崖崩れなどが起きてしまう可能性も否定できない。

漁師は海の近くに戻ることを切望するけれども、生産工場は、この地区に残ることに固執する必要はない。何にも増して一番の問題は、若い人たちが戻って来ないことだと言う。にも関わらず、再建するなら戸建てにこだわる人は意外と多いとも聞いた。この地区は、仙台のベッドタウンとしての役割と、水産業が混在しているため、それが問題を複雑にしている背景がある。また公共交通機関が十分ではないため、復興には、バスの運行が不可欠だという。

結局、ここを出るのか、残るのかの選択が迫られている。しかも、それに加えて、ここに新しく住みたいという人に、自分の土地を提供しても良いと考えている人さえいる。また、いまの案は道路が優先となっており、区画整理の感が否めない。求められているのは、本質を突いた本当に必要な計画案である。そういう疑問を感じつつも、時間は足早に過ぎて行く。被災地は、どこも葛藤の連続で、人は皆、疲れ切っているというのが実情のようだ。

最後に訪問したのは、閖上地区で人が集まる拠点を立ち上げた某設計事務所を主催するご家族の方だった。いま、閖上地区は3mの盛土をする計画が進んでおり、すでに、その工事が一部で始まっている。また、今回わかったことは、津波というのは、防波堤を簡単に越えて来るということである。だから、津波に真っ向から対抗するのではなく、海岸から少し沖に、「海のいぐね」と呼ばれる防波堤を設置し、次に海岸沿いに松の木を植えるなどして、津波の力を弱める方法が望ましい対策ではないかという。

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