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還流独歩

東北視察 その6 2012.03.29

そして、地面から高い位置に人工地盤をつくり、新しい住居はその上に建設する方法をとれば、万一、津波が来ても、海水は人工地盤の下を流れるようにすることができる。この案が現実的かどうかはわからないが、土盛りをした上に、ただ普通に住宅を建設する案よりかは、安全性が高まると考えられる。またいつやって来るかもしれない津波に対して、また同じような惨禍が繰り返されるのだけは避けるべきだろう。亡くなった方も、それは望んでいないはずだ。

人間というのは、仕事がないところに住めない生き物である。自分以外の家族全員を失った漁師の男性は、この地区を出る覚悟を一旦は決めたけれども、時間が経つと逆に、また海のそばに住みたくなったという。朝、目覚めたときに潮の香りを感じたいのだ。それは人によっても、大きく違うのだろう。仮設住宅を早く出たいがために、市の提言を素直に受け入れようとする人もいるし、市の方も早く進めて、案を取りまとめたいと感じている。

一市民の提案など、相手にされないことはわかっているけれども、それでも言い続けなければならない。そういった活動をしている人たちがいることを、今回、初めて知った。津波の被害に合い、肉親や友人、知人を亡くし、住むところも失ってしまった中で、こういった行動を起こすのは本当に大変なことだし、並大抵の精神力では続かないのではないだろうか。そんな地味にも見える活動を応援したいという気持が湧き出るのは自然なことだと思うが、それは果たして正しいのだろうか。

震災が起きてから現地に行き、援助活動を行なうということは極めて意義のあることだと感じているが、こういった行政が大きく絡むような案件については、当事者以外の人たちが、どのように協力すべきなのかという問いに対する明確な答えは、私自身は、まだ持合わせていない。実際にそこに住むわけでもなく、そこで生活を始めることもしない人が、現地の再建案に、どこまで口を出すべきなのだろう。とても難しい問題だ。

そう感じつつも、今回、わかったことは、大地震が起きて一年が経ったいまだからこそ、何かの役に立てることがあるかもしれないということだ。それは自己満足であって、何の役にも立たない可能性もある。良かれと思って行動することが、必ずしも正しいとは限らない。それでも、自らできることがあるなら行動し、そして声を上げて行くべきではないかと強く思ったりもする。

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