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還流独歩

東京建築案内 その6 2012.05.23

翻って、すべて電力会社が悪いと決めつけるだけでは何も解決しない。その疑問の矛先は、確実に建築へと向けられるはずだ。冷房を必要とするのは人間であって建物ではない。しかし、建物の外皮や開口部のあり方は、室内空間の温熱環境に多大な影響を与える。だから、人間と建築を切り離して考えることはできない。建築は人間のためにあるものなのだ。

以前から何度も書いて来たように、建築を冷蔵庫に例えてみる。仮に少しの電力消費で、保冷性が持続する断熱性の高い冷蔵庫と、逆に電力を多く消費するのに、あまり冷えない冷蔵庫があったら、どちらを選ぶだろうか。大抵の人は、前者を選ぶと思う。いや、私がそう願っているだけなのかもしれないから、一概には決められないけれど、同じことが建築にも当てはまると思う。

上記の文章を書き換えてみる。「仮に少しの電力消費で、涼しさが持続する断熱性の高い建物と、逆に電力を多く消費するのに、あまり涼しくない建物があったら、どちらを選ぶだろうか」。いや、選ぶのではなく、実際、日本には、どちらの建物が多いのだろうか。涼しさを生み出すことを、冷房装置だけに頼っている建築が大半を占めてはいないだろうか。

もう一度、スイス人の建築家が投げかけて来た質問を書く。「日本の建築家は、建物で消費するエネルギーに関心はないのか?」。私は日本中の建築家と呼ばれる人たち、一人一人に訊いたことがあるわけでもないし、そんなこともできないけれど、できるだけエアコンに頼らなくても、ほどほどの温熱環境が得られる工夫をしている建築家は、決して少なくないはずだ。

その一方で、より単純に、そして少しだけ深く思考してみると、夏の電力需要を押し上げているのは、まさしく人間であり建築そのものである。そう考えると、冷房は人間のために行なってはいるものの、建築に課せられた責任は極めて重大だと言わざるを得ない。毎年、電力需要が最大となることが取り沙汰されるが、それは一体、誰の責任なのだろう。冷房負荷を増大させて来たのは建築ではないのか。

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