宿谷先生をお祝いする会 その3 2012.07.03
ところで、その緑のカーテンというは、誰かが世話をしなければ育たない。私自身は行なったことはないが、管理を日々繰り返し、その成長を確かめ、そして楽しみながら、あるいは試行錯誤を続ける中で育つものである。給水については、自動潅水設備もあるようだが、相手は植物だから、うまく行く場合もあれば、枯れてしまうことだってあるだろう。
宿谷研究室では、この取組みに関して聞き取り調査を行っている。緑のカーテンで覆われる面積が、予定していた大きさのおおよそ60%を超えた事例では、その試みに対して前向きな回答が返って来る場合が多く、それ以下のときは、否定的な思考が散見されるらしい。この調査結果から、ある方向性が見えて来るという。
自然からの働きかけを上手く取り入れることができたと捉えている体験者からは、「柔軟」「自立」「敬う」「思いやり」といったことばが引出されるのに対し、緑のカーテンを少なからず否定的に感じてしまった人からは、「硬直」「他律」「見下し」、あるいは「人を蹴落とす」といった面さえも表れる傾向があるというのだ。
これらの表現を安易に引出すことは、ある意味、危険かもしれないし、この取組みに関わった人たちの価値観にまで踏み込む話だから、あくまでも相対的なものであることを忘れてはならないけれども、緑のカーテンをつくって、自然の涼しさを得ようとすることは、環境や技術、そして自らの行動の関係を、どう位置づけるのかということにつながるのかもしれないとさえ思う。