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還流独歩

米と麦と食べること その4 2012.07.11

そう考えると、イワシを買うときに支払うお金は、イワシに対してではなく、魚屋さんに運ばれて来るまでにかかった手間への対価であることがわかる。つまり、養殖といった事例を除けば、海で泳いでいる魚たちには、原料費が発生しない。でも、寿司用の高級マグロには高額な値段がつく。それには希少価値としての金額が上乗せされることも意味している。

変な話になるけれど、目の前で売られている魚を見ると、そんなことを考えてしまったり、あるいは肉であれば、どこかで生きていた豚や牛や鶏が、形を変えて、ここに並んでいるのだな、と思ったりもする。そして、肉を食べるということは、生き物である人間が、別の生き物を食べるということでもある。穀物や野菜、果物を食べることとは違う。

普段の食生活については、私は何ら自慢できることなどないし、むしろ人に知られると恥ずかしい面が多いのだが、最近になって、食べられることへの感謝の気持ちが、以前にも増して強くなったように思う。健康で、どんなものでも美味しく戴けるということは、実に幸せなことに違いない。

最近、飽食ということばをあまり聞かなくなったけれど、身の回りを見渡せば、食べるものが溢れている。お金さえ出せば、好きなものを食べられる環境にある。でも、日本の人にとって、食が満たされる最小限度のものは、温かいご飯と味噌汁、そして、幾ばくかの新香ではないだろうか。そして、自然の恵みに感謝して戴く。実に尊いことである。

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