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還流独歩

米と麦と食べること その6 2012.07.13

自然の神がいるのかどうかはわからないが、農業や漁業だけが生きる糧であった時代に、豊作や豊漁を願って祀られた神々は、日本各地にたくさんいただろうし、それらはいまもまだ、数多く残されているはずだ。その神に対する感謝の気持が、食事をするときに「いただきます」ということばとして表れるようになったとしたら、やはり日本の食文化を誇りに思わずにはいられない。

生きている側と、それをつかさどる自然の世界が、箸を介してつながるというのは、実に奥ゆかしいことだと思う。箸を使って食事を戴くことは、自然に触れることであり、それを敬うことにもつながっているのではないだろうか。箸の置き方、箸の使い方まで含めて考えても、これは日本の食文化の原点ではないかとさえ思えて来る。

ここで話は、また少しだけ脱線する。私はお茶の世界は本当に門外漢だから、見当違いのことを述べてしまうかもしれないが、お茶をたてることも、自分と自然が向き合うことであり、それが結局は自分を見つめ直すことにもつながるような気もするのである。先日、お会いしたお茶の先生からお聞きしたことが、急に蘇ってきた。

話はすぐに戻って、箸というわずか二本の細い棒を、食べる側と食事の間に水平に置くことで、現実と自然の世界を隔てつつ、それを使うことで、今度は二つの世界がつながる。繰り返しになるが、そんなことが、最近になって、極めて尊いことに感じられるようになった。ナイフやフォークを、縦に置くのとは違う世界感が日本食にはあるのだ。

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