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還流独歩

米と麦と食べること その8 2012.07.15

なぜにここまで、長々とこだわったことを書き続けているのかというと、私自身も、普段の生活の中で、食べることに対する敬意さが、とてもないがしろにされてきているのではないかと感じることが多くなったからだ。先述のように、それに対して、自慢できるような食生活はまったく行なっていない。そうではないから、増々気になるのだ。

食べることは、生き物が生きて行く中で、根源ともなる行為である。それはエネルギーの中の質を意味する「エクセルギー」を取込むことに他ならない。そのエクセルギーは、いったいどこからやって来るのだろうか。たくさんあれば良いのだろうか。少ないと何か問題なのだろうか。そんなことにも想いを巡らすようになった。

生物が生き続けるためには、まず、エクセルギーの投入が必要になる。それが消費され、それと同時に生成されるエントロピーの廃棄が保証されなければならない。この一連の循環は、命が絶えるまで続く。生きることとは何か、あるいは、生とは何か。自然とは何か。食べ物を口にするとき、そんなことさえ考えてしまう。

導入から話題が拡散し続けてしまい、この長い文章をまとめるには、もはや、あまりにも難しい状態に陥ってしまったけれど、確実に言えることは、何度か書いたように、食べることは、ある意味、自らと向き合うことなのではないかと思うのである。いや、向き合ったからといって、何かが大きく変化するわけではないのかもしれない。

でも、一日の中で、食べることを通じて、自分自身と、その生活を見つめることは、飽食と呼ばれて久しい時代だからこそ、とても大切なことなのではないかと、強く感じる日々なのである。

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