理念 建築 略歴 連絡
文章 視察 還流独歩 大福企画
還流独歩

ドイツ的片付け論な夜 その2 2012.08.05

その指摘に頷きつつも、日本の諸空間は、どこもドイツほど大きくはないのは事実だ。ただ、それを言い訳にして良いものだろうか。その友人はさらに続ける。日本の人は、食事や身だしなみには、とても気を使うのに、住まうことに対しては、なぜに本質を突くようなことを追求しないのか。その点に関しては、ドイツと正反対だと言う。

その本質とは、長く使うものへのこだわりや、居住空間に求める温熱的快適性、あるいは化石燃料の消費といった視点であろうか。日本とドイツでは、それらに対する意識の差が大きいのではないかと彼は長年にわたって感じている。僭越ながら、多少なりともドイツのことを知っている私だから、そんな話を受け入れることができるのかもしれない。

そういえば、年末の大掃除の話になった。整理の行き届いたドイツでは、年末に片付けるという作業はない。溜ったものを捨てて、清々しい気持で新年を迎えるというのは日本の大切な慣習だとは思うが、普段から、整頓を心掛けていれば、年末に大量のごみが発生することもない。

そういったことが自ら実践できているかどうかは自信がないが、新しいことを取り入れるためにも、身の回りは奇麗に保っておきたいといつも思っている。繰り返しになるが、「人生の半分は片付け」という、このことばに、ドイツのあらゆる面が凝縮されているように感じられるのである。

そして、自分の気持の中にも、新しい何かを積極的に取り入れたり、あるいは感謝、愛情、怒り、不安といったものを大きく、そして柔らかく受け止められるような大きな隙間をつくりあげておきたいと思う。はたしてできるだろうか・・・。

« »