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文章 視察 還流独歩 大福企画

2009年9月から「環流独歩-かんりゅうどっぽ」という標題で、日々の活動や、普段、思い描いていることを書き始めました。これは、JIA/日本建築家協会東海支部が毎月発行している会報誌「ARCHITECT」に寄稿させて頂いたときに、自ら付けた標題をそのまま使用しています。

移動などが多いため、抜けているところや、日付を遡っての更新も多々あります。また、どうしても誤字脱字や文章の詰めの甘さが出ることも多く、後日、読み返して気がついた箇所は、適宜、加筆訂正等を行っていますので、その旨、どうぞご容赦下さい。
 
加筆訂正:2012年1月1日(土)

身だしなみ 2012.08.02

いまから書くことは、偏見ではなく私見である。もし、不快な思いをする方がいらしゃるようであれば、申し訳ないので、先に謝っておきます。

東京の街を歩いたり、地下鉄に乗っているときに思うことは、日本の女性は、身だしなみに気をつけている人が極めて多いということだろうか。私は常に女性を観察するようなことは決していないつもりだが、お洒落な服を着て、靴やサンダルにも気を配り、素敵な鞄やバッグ、そしてアクセサリーを身につけ、爪も奇麗にし、そしてきちんと化粧をしている人が実に多いと思う。あたり前と言われればその通りなのだが、そう感じてしまうのである。それは無論、人によっても違うし、男性だって同じことかもしれない。

一方、ドイツを含めた欧州の女性はどうだろうか。身だしなみに気をつけるという点ではもちろん同じだが、日本の女性の気配りとは、また少々違う面があるように思う。まず、化粧をしていない人が多い。女性というのは、人前に出るときには必ず化粧をすべきだという主張をするつもりなど毛頭ないし、私は人それぞれで良いと考えている。ただ、漠然とした記憶をたどると、ドイツの女性は、日本の女性ほど化粧はしていないようにも思えるのである。それを統計的に示せと言われても無理なのだが、そんな風に感じるのだ。

かといって、ドイツの女性がまったく化粧をしないかというと、そんなことはない。ドイツ人の男性と女性と私の3人で、一つの住居を借りて一緒に住んでいた頃、会社勤めをしていたその彼女は、出社前に必ず化粧をしていたし、仕事に相応しい服も着ていた。その彼女だけを引き合いに出せば、いま書いてきた化粧をするかどうかという話と矛盾してしまうのだが、ドイツから日本に戻って来ると、日本の女性は、きちんとし過ぎというか、お洒落というか、奇麗にまとめ過ぎというような印象を持ってしまう。それの何が悪いと訊かれたら答えに窮してしまって、反論のしようもない。

そして、いま一つ思い出したことがある。日本の女性は、ドイツ人の女性よりもスカートをはいていることがことが多いかもしれない。女性らしい格好というのだろうか。そういえば、同居していたドイツ人のその彼女が、スカートをはいたところを私は見たことがなかったように思う。普段、ほとんど気に留めたことがないのだが、日本人とドイツ人の女性におけるスカートの着用率は大きく違うような気もするのである。日本の女性の方が身だしなみに気をつけているように感じられるのは、そのせいなのだろうか。いや、スカートをはくことと身だしなみとは何の関係ないから、単なる錯覚なのかもしれない。

今日は女性のことを書いてしまったので、自分のことは棚に上げて、いずれ男性についても書いてみたいと思っている。

重要な依頼 2012.08.01

国土交通省の住宅局建築指導課から「重要な依頼」と書かれた葉書が届いた。本文には次のように書かれている。

「今般、偽造した免許証の写しにより建築士になりすまして建築士事務所に所属し業務を行なっていた事案が発覚しました。免許を受けた建築士により法令遵守のもと業務が適正に行なわれるようにするのは、建築士事務の開設者の責務です(以下、省略)」。

この事件が明るみになったことで、建築士事務所への不信感は、また増幅されてしまう。構造計算書の捏造が発覚して以来、あらゆるところで、いわゆる業務に対する締め付けが明らかに厳しくなった。建築に携わっている人なら、誰でも感じていることであろう。

今回のこの件で、所属建築士の名簿をまた提出しなければならない。先日、事務所の再登録を行なった際、今回、提出が求められている書式とまったく同じものを提出したばかりなのに、もう一度、出す必要があるという。そして、今度は郵送だ。また、同じ作業をするのかと思うと少し気が滅入った。

そこで念のため電話をして確認してみた。そうしたら、事務所の再登録の日が近く、先日の手続きで確認が取れているので、登録建築士の名簿を再提出する必要はないという。何という柔軟な対応だろうか。実に有難い。作業的にはそれほどでもないのだが、これで事務作業を一つ減らすことができた。

それにしても、建築士の信頼を大きく損ねるような、こういった「事案」は、もう止めにしてもらいたい。そして、自分自身も常に気をつけて、信頼を得られる活動を続けて行きたいと強く思うものである。

横浜と神戸とハンブルク その2 2012.07.31

そしてようやく「ハンブルク」の話だが、個人的にかなり好きな街である。もし時間があって、南のミュンヘンと北のハンブルクの、どちらに行ってみたいかと訊かれたら、おそらくハンブルクと答えると思う。やはり大きな港があることが大きいかもしれない。ただ、ハンブルクは北海には面していない。エルベ川の河口から70kmほど内陸に位置しているから、港町というのは正確ではないが、幅の広いエルベ川は海かと思わせるくらい大きいのである。

では、この街が、横浜や神戸と同じような雰囲気を持っているかというと、それは比較のしようがないかもしれない。いわゆる巨大な波止場街という点では似ているし、異文化を受け入れてきた背景も酷似しているのだが、大きく違うところは、漁港でもあるということだろうか。横浜や神戸も魚は水揚げされると思うのだが、浅学な私は、日本のこの両都市を、そのようには感じ取ってはいない。魚を扱う朝市などは行なわれているのだろうか。

ハンブルクは、欧州でも最大級の貨物港であり、また北欧の中でも有数の漁港の一つである。どちらかというと貿易港としての印象が強いが、魚介類を中心とした大きな朝市も開かれているし、魚をあまり食べないドイツにおいて、郷土料理といわれる魚料理が旅行案内書にもいくつか載っている。これまで何度か食べたが、決して不味いわけではない。ただ、日本食こそが世界一だという偏見のある私とって、その味は多少なりとも微妙ではある。

そういえば、以前、ハンブルクについて書いたことを思い出したので読み返してみた。今回の内容と重複する部分もあるが、日本の港湾都市との比較はしていない。いつものように何を言いたかったのか自分でも良くわからなくなっているのだが、港町には海とのつながりが感じられる独特の雰囲気が漂っていることは間違いないだろう。そして、こういう街は、昼と夜で表と裏の違いというものが、より顕著に現れるものなのかもしれない。

ハンブルクを語る上で一つ忘れてはならないものがある。それは、市内にあるアルスター湖だ。幹線道路と鉄道によって、内アルスターと外アルスターに分けられている。こんなに大きな湖というのは、横浜や神戸にはない。ハンブルクは、まさに水に囲まれた都市と言っても良いだろう。だから、ドイツの都市でありながら、少し北欧の薫りがするのかもしれない。いま、書いていて、そう思った。

以前にも書いたけれど、南ドイツだけでなく、北ドイツのハンブルクは、また違ったドイツの一面を見せてくれるように思うのである。少々、散漫な内容になってしまいましたが、今日も、お付き合いを頂き感謝申し上げます。

横浜と神戸とハンブルク その1 2012.07.30

先日、打合せのため、横浜へ向かった。今月初めに、恩師の宿谷先生のお祝いの会で「馬車道」へ行ったが、今日は「みなとみらい」である。横浜が開港して150年を迎えたけれど、良く言われるように、この街には、確かに異国情緒を感じさせる雰囲気が、どこかしら残っていると思う。垢抜けているというと少し褒め過ぎな気がするが、何となく洗練された感じを受ける。

同じような感覚を得る街を他にも挙げるとすれば、神戸だろうか。同じ港町だし、海外とのつながりも多かったと思われるから、似たような雰囲気を持っていると言ってよいのかもしれない。ただ、私は神戸のことを良く知っているわけではないので、単にそう感じるだけで、実は住んでいる人は、そうは思っていないなどということもありそうだ。でも、多くの人が神戸という街に対して、誇りを持っているのではないだろうか。

ところで、ドイツの港町というと、真っ先に思い浮かぶのは「ハンブルク」であろう。でも、ドイツといえば、多くの人が「ミュンヘン」の名を真っ先に挙げるに違いない。南ドイツの130万人都市は、それほどにまで有名になってしまっているし、ミュンヘンがドイツのすべてだと勘違いしている人も大いはずだ。確かにミュンヘンは魅力的な街には違いないが、ミュンヘンだけがドイツではないのである。

話は逸れてしまうが、一般の人が思い出せるドイツの他の大都市というのは「ベルリン」だろうか。人口が400万人弱の首都とはいえ、それでもミュンヘンに比べたら、知名度は意外と低いかもしれない。しかも、日本の人が団体で観光で行く街ではないようだ。その歴史は古いが、歴史的な街並が残っているわけではないし、いまや、どちらかというと政治の街と思われていなくもない。

話をドイツの港町に戻せば、例えば、ドイツ最北部の「フレンスブルグ」や「キール」、あるいは「ロストック」、「ブレーマーハーフェン」、「クックスハーフェン」などという地名を挙げられる人は、かなりのドイツ通に違いない。ドイツの人で知らないという人はいないと思うけれど、日本の人にとっては、初めて耳にする街かもしれない。ちなみに、私は「ロストック」と「クックスハーフェン」には行ったことがある。

脱力日曜 2012.07.29

日々の疲れからか、お恥ずかしいことに、今日はほとんど何もしない一日になってしまった。それでも、書類の整理をし、片付けもやりつつ、溜っているメールへの返信を書いたりした。床の拭き掃除もしたかったが、気力が沸かず、それ以外もほとんど手つかずである。

いまやりたいことは、いままで溜め込んだ本を捨てることである。でも、こういった処分をするという作業は、根気と時間がいるように思う。毎日、本棚を見渡して、例えば、一段ずつ見直して行くこともできるはずなのに、励行することは実に難しい。

捨てるというおとは頭の中を整理することであり、新しい何かを取り入れることでもある。そろそろ一杯になりかけている書棚も片付けたいと思いつつ、昔読んだ本を何冊か手に取ってみた。大切だと思うところには赤線が引いてある。そのときのことを想い出しているうちに、脱力の日曜が過ぎて行った。

車中の居眠り 2012.07.27

暑いこの時期、冷房が効いた電車に乗ると眠くなる。私もときどき睡魔が襲って来ることがあるが、なるべく寝ないように気をつけてはいる。でも、気持よく寝ている人を見ると、結構、羨ましかったりもする。

それはさておき、暑い時期に関わらず、隣りの人に寄りかかられることがある。男性に寄りかかられると、あまり気分が良くないが、女性だったら、それほど悪くない気がするというのは、私の単なる偏見であろうか。

実は今日がそんな日だった。隣りの女性が仕事らしき書類を手に持ったまま、ときどき私の方に寄りかかって来る。もたれ方が強くなったり弱くなったりしている。隣りにいるのに、近過ぎて、どんな女性かはまったくわからない。

私の方が先に降りるとき、その女性が崩れないように、少しゆっくりと立ち上がった。もしその人が男性だったら、もたれかかってきたときに、急に席をはずすという意地悪なことをしてしまったりするのかもしれないと考えた。

その女性が、そのあとどこへどのように行ったなど知る由もないが、暑い夏の移動は疲れるものである。今度は、自分がもたれかかる立場にならないように、多少なりとも気をつけながら、夏を乗り切りたいと思う。

打合せ二本で一日終了 2012.07.26

昼前に外出して、午後一番と夕方からの二つの打ち合わせに出席する。外は暑い。一つ目は遅れそうなので、メールで、その旨を先に伝えておいた。お昼休みに入ってしまったので、電話をよりも良いかと判断した。

遅れを取り戻そうとしたいのだけれど、汗をかきたくないから、歩みは自然と遅くなる。それでも額や首筋には汗が流れ始める。湿度がかなり高めだ。一つ目の打合せは、2時間程度で終わった。

途中、遅い昼ご飯を山手線で移動し、目黒方面に向かう。駅のホームも暑い。いつもはエスカレータに乗っても歩いて昇るのだが、今日はそんな気も起きない。

二つ目の打合せは、夕方、7時過ぎまでかかった。最初の移動を含めたら、それだけで7時間である。今日はこれで閉店したいが、滞っている作業があるので、もう少し続けよう。

一日というのは、実に早く過ぎるものである。

人生の節目 2012.07.25

本日、エネクスレインは、2007年の開設から5年目の節目を迎えました。誠に月並みな表現で恐縮ですが、これも一重に、本当に多くの方々から、ご支援を頂けたからに他なりません。心より厚く御礼申し上げます。

大家さんから許可を頂き、汗だくになりながら、事務所の壁を黄色と青色に塗り分けた、あの暑かった夏から5年という月日が流れました。その長さを、自分自身でもまだ実感できずにいます。

毎年、この日を迎えてきましたが、今回は何だかとても感慨深いものがあります。誰しも人生には転機というものが何度か訪れるものですが、私にとって、今日は大きな意味を持つ一日になりそうです。

この5年間にできたこと、そして、できなかったことを考えると、思い描いていた以上に歩みが遅く、自分でも愕然としてしまうのですが、この5年間に多くの方々から、たくさんのことを学ばせて頂いたように思います。

開所式には、暑い中、本当に多くの人に来て頂きました。それは事務所を開設できたこと以上に大きな喜びであり、また、これから始まる歩みに大きな責任も感じました。あのときのことは、いまも強く脳裏に焼き付いています。

そして、昨年も書いたように、何もしなくても、今日から次の5年に入り、10年目に向けての日々が始まります。いままでに感じることのなかった重圧のようなものを抱えつつも、これからさらに邁進して行きます。

その気持と御礼をお伝えしたく、これまでお世話になった方々に、書面での挨拶をしたいのですが、この場にての報告とさせて頂く旨、どうかお許し下さい。

暑い夏が続きます。皆さま、どうかくれぐれもご自愛下さい。

2012年7月25日(水) エネクスレイン代表 小室大輔

国境の街と自分 2012.07.24

いくつも訪れたドイツの街の中で、同じような雰囲気を持っていると感じた都市が三つほどある。それらは「アーヘン」「パッサウ」「フライブルク」の三都市だ。いずれの都市も、人口はそれほど多くなく、有名でもないけれど、いずれも国境に近いことが共通点であり、どことなく洗練された雰囲気を持っている。

ドイツ西部の「アーヘン」は、街自体が国境に接しており、西隣りはオランダとベルギーである。「パッサウ」という街を知っている方は少ないと思うが、ドイツの南に君臨するバイエルン州の小都市であり、こちらは東隣りがオーストリアだ。環境都市として名高い「フライブルク」は、フランスとスイスまで、車で30分から1時間程の距離にある。

それらの都市に共通していることは、国境に近いということだけではない。建築的に見ると、建物に使われている色が似ていることだろうか。一つ一つの建物は古いのだが、手入れが行き届いており、その色彩も明るく豊かなのだ。パステル調というと表現が軽いが、淡い色が使われている建物が多く、垢抜けた感じさえ受ける。

国境の街というのは、どこもそんな雰囲気を持っているのだろうか。いや、必ずしも、そうとはいえない面はあると思う。でも、異文化が交錯してきた街というのは、少なからず「異なる」ということに対して寛容であり、偏見がなく、そして住む人たちの懐が深いような気がするのである。時間とともに、それらが街の雰囲気をかたちづくるのかもしれない。

では、街ではなく自分はどうだろうか。国境の街と比較することは無理だけれど、同じように考えるてみると、人間として視野を広く持ち、多くを受け入れ、そして深みのある人間として成長して来ただろうか。それは自らが判断することではなく、周囲の人が決めることだけれども、そんな気持を持ち続けられるだろうか。

エネクスレインを開設して、明日で5年を迎える一日前の今日、夏の青空が、やけに目に染みるのはなぜだろう。過去を振り返ることもときには大切かもしれないが、これからも前を見続けて進んで行きたいと思っている。できるかどうかではない。やるかやらないかである。そんな気概を、これからも持ち続けたい。

夏の薫り 2012.07.23

季節には、その季節なりの薫りがある。春には春の、夏には夏の、秋には秋の薫りがあり、寒い冬にも、嗅覚を呼び覚ます何かを感じることがあるはずだ。それは環境によっても大きく違うだろう。アスファルトと建物に囲まれた都会と、緑が豊かな田舎では、感じられる薫りはかなり異なると思う。

そういえば、久しく海へ行っていない気がする。海辺や磯の薫りというのも、また独特だ。普段、海に接する生活はしていないけれど,海辺の季節の変化というのも、少しだけわかる気がする。新緑の季節に感じられる海の薫りと、もの悲しさが漂う冬では、やはり違うのではないだろうか。

この夏、一体、どこでどんな薫りを体験できるだろう。時間に追われる毎日だからこそ、五感を研ぎ澄ませて、薫りからも季節を感じたいと思っている。