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2009年9月から「環流独歩-かんりゅうどっぽ」という標題で、日々の活動や、普段、思い描いていることを書き始めました。これは、JIA/日本建築家協会東海支部が毎月発行している会報誌「ARCHITECT」に寄稿させて頂いたときに、自ら付けた標題をそのまま使用しています。

移動などが多いため、抜けているところや、日付を遡っての更新も多々あります。また、どうしても誤字脱字や文章の詰めの甘さが出ることも多く、後日、読み返して気がついた箇所は、適宜、加筆訂正等を行っていますので、その旨、どうぞご容赦下さい。
 
加筆訂正:2012年1月1日(土)

歯の治療 その2 2012.11.12

そして、今日の治療の内容をいくつか聞かされた。まず最初に、あごの周囲のレントゲン写真を撮るという。顔の周りを一周するカメラで撮影してもらった。その様子は、前方の画面で、すぐに確認することができる。その写真をもとに、自分の歯と歯ぐき、そしてあごの状況を説明してもらった。昔、詰めてもらった部分や、治療のあとなどが一目でわかるし、とてもわかりやすい。そして、歯の状況には大きな問題がないことも分かった。

そして肝心の治療であるが、診てもらったところ、詰めてあったものが取れてしまった形跡があるという。特に問題のなかった歯が、急に虫歯になった感じがしたのは、そのせいだったのだろう。そこを改めて、治療し直してもらうことになったが、余分に削るようなことはしないので安心して下さいと言われた。特に痛みを感じることもなく、治療は順調に進み、基本的に今回で終了だが、念のため、数週間後に確認のため、来院して欲しいとのことである。

次に、歯石などを取ってもらうことにした。毎日、欠かさずに、歯を磨いてはいるが、よく見ると、それなりに汚れが溜っているものである。ここでも言われたのは、「たくさん削るわけではなく、機械をつかって磨きをかけます」ということだった。結局、最初に問診票を書いてから、1時間20分くらいかかった。でも、口の中も気分も、とても気持が良くなった。最後に、「今日は有難うございました」と、丁寧にも頭を下げられて診察室を出た。

これからは定期的に検診に行こうと思う。

歯の治療 その1 2012.11.11

昨日、東京に戻ったあとの午後、歯医者へ行った。というのは、右上あごの一番奥の歯を舌先で触ると、小さな穴があいている感じがするのである。一か月ほど前には、そんなことはなかったのに、ここ数週間くらい前から、急に気になり始めた。虫歯が進行して痛み始めるとやっかいなので、土曜にも開院している歯医者をインターネットで調べて、すぐに予約して出かけた。

予定の時間に行き、問診票に記入をして受付を済ませると、10分もかからずに呼ばれた。最初に、助手の女性から質問を受ける。自分でも驚きなのだが、前回、歯の治療をしたのは、実は30年近くも前のことなのである。これまで、歯科検診を受けたり、歯石などを取ってもらったことはあったが、虫歯の治療というと、ほとんど記憶の彼方である。助手の若い女性は、もしかしたら生まれていない可能性もある。

次に、担当する先生が来た。「担当します鈴木です」と言われ、ご丁寧にも名刺を渡された。でも、頂いたその名刺をどこに置けば良いのか戸惑っているうちに、「インターネットで調べて、当院にお越し頂いんですね。誠に有難うございます」と、続けて言われた。都内には歯科医院がたくさんあるし、競合が激しいということも背景にあるのだろうけれど、本当に久しぶりに歯の治療をする私にとっては、まさに隔世の感がある。

搭乗口「Z」 その2 2012.11.10

団体客をたくさん乗せた飛行機は、ほぼ定刻通りに駐機場を離れた。今回は4席を独り占めである。エコノミーなのに、フルフラット仕様だ。いつものように、滑走路の端から離陸するまでの時間を数えたら、55秒くらいだった。そして、いつの間にか眠りに入ったようで、気がついたら最初の飲み物を出す前のおしぼりが配られるところであった。

機内で、名刺や領収書の整理をする。そんなことは、東京に戻る前に済ませておきたかったが、すぐには取りかかることができなかった。通路から一つ内側に座ると、両側のテーブルを含めて三つ使えるので、こういった作業を機内で行なうにはとても便利である。食事が終わり、消灯の時間を迎えても眠くならないので、作業を続ける。

4列席すべてを使って身体を横にしたのは、結局、1時間半ほどだろうか。もっと寝ていたいのに、午前中に発つ飛行機だと、少し寝るだけで目が冴えてしまう。周りでは、いびきをかきながら寝ている人もいて、実に羨ましい。ほとんど寝っ放しという人もいる。狭い機内とはいえ、自由行動なのだ。

成田空港で、一旦、身支度を整えて、都内へ移動する。今日は土曜日だから、電車もそれほど混んではいない。地下鉄の駅から外に出ると、まばゆい太陽が輝いている。少し疲れているような、何だか元気なような、変な体調である。これから年末まで、また慌ただしい日々が続いて行く。1時間ほど仮眠を取って、再起動である。

搭乗口「Z」 その1 2012.11.09

3時半起床。床掃除は夕べのうちに済ませた。荷物もだいたいまとめてある。問題は机の周りに置き去りにされたままの紙媒体をどう片付けるかだ。この後に及んで、ようやく要るか要らないかをすぐに決めて、半分は捨てた。残りの半分はファイルに保存である。

8時過ぎのバスでケルン中央駅へ向かい、いつものように駅の中で搭乗手続きを行なうと、フランクフルト空港での搭乗口は「Z(ツェット)」だと告げられた。「Z?」。そういえば、先日、ハンブルクへ向かうときに、Zと書かれた表示を見かけた気がする。窓口の女性が案内図をくれた。搭乗口Aの上階に、新しい搭乗口Zが増築されたようなのである。

それにしても、搭乗口が「Z」というのは、何やら意味深である。CでもQでもWでもなく、26番目の「Z」。これは何かの遊び心なのだろうか。もしかして、次に新しい搭乗口ができたら、「Y」、「X」というように、アルファベットを遡るのだろうか。余計なことだけれども、そんなことを考えてしまう。

バーゼル行きのICE新幹線に乗る。出発が10分遅れたが、フランクフルト空港には問題なく着いた。荷物を預けるときに席の確認をしたら、幸いにも前方4列席のすべてが空いているという。もしかしたら、ゆったりとして移動できるかもしれないので、そこに変更してもらう。

人生の階段 2012.11.08

人の生き方の例えに、階段というものは存在するのだろうか。簡単に言えば「人生の階段」である。その階段を昇って行くことは良いことなのだろうか。あるいは下ることは良くないことなのだろうか。階段の途中や踊り場で、立ち止まってはいけないのだろうか。

確かに昇るとか上がるという表現は、たいていの場合、良い意味で使われることが多いように思う。「昇進」とか「昇格」ということばにも「昇」という字が使われているし、会社や、いろいろな組織では、人の上に立つという表現もあるから、これは世界共通のことのように思う。

逆には「降格」という表現もある。できれば、そういう目には遭いたくないという人が、世の中のおそらく大半を占めるのではないだろうか。もし仮に、私自身が大きな組織にいて、そういう境遇になったとしたら、それなりに悩むだろうし、いろいろと考えたりもするだろう。

でも、それが人生としての階段を下がることと同じ意味かというと、そうは言い切れない気もしたりする。そんな立場に立たされたことのない、お気楽人間の発言かもしれないけれど、うまく行かないときの方が、より大きな糧を得られることもないとはいえない。いまにして思えば、自分自身がそうだった気もする。

いまも、そんな上下する状況から脱してはいないけれど、人にはきっとそれぞれの階段があって、緩やかな人もいれば、急峻な人もいると思う。あるいは穏やかに下る階段を進む人もいるのかもしれない。もしかしたら階段ではなく、平坦な道を進む人もいるだろう。

では、いまの自分はどうなのだろう。正直に言えば、少しでも良いから登り坂を歩みたいとは思う。それは自分の努力だけでどうにかなるわけではないかもしれない。そんな問いかけなど、何の意味もないのかもしれないけれど、なぜかそんなことを考えてしまったりするのである。

近況 2012.11.07

今年の8月下旬くらいから、この「環流独歩」を更新できない日々が続きました。心配してわざわざ連絡を下さった方、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

言い訳になってしまいますが、ここ数か月、携わる作業が多くなり、更新から久しく遠ざかってしまいました。そんな状況はいまもほとんど変わらないのですが、できれば以前のように、遅れがあっても、少しずつ書き続けて行きたいと思っています。ただ、毎日は、おそらく無理と判断しています。

今後、不定期更新になりますが、引き続き、どうぞ宜しくお願い申し上げます。季節の変わり目、皆さま、どうぞご自愛下さい。

満席移動 その2 2012.09.18

搭乗前に、隣りが空いている席がないか念のため訊いてみた。すると最後尾の前が壁のところが2席空いているという。でも前に壁がある席に一度座ったときに、とても疲れたので気が進まなかった。とはいうものの、機内に入ってから、念のため確認に行ったら、小さい子供と荷物をたくさん持った家族がいたので、彼らが4席使えた方が良いと思って諦めた。

飛行機が駐機場を離れる前に眠ってしまったようで、離陸直前にエンジンが全開になったときにふと目が覚めた。わずか10分か15分くらいだろうか。飛行機は巡行速度に入ったかのようなゆったりとした動きのまま機首をゆっくりと上げてフランクフルトの上空へと飛び立った。いつになく静かな離陸である。

東京に向かうA380は、ほぼ満席で、空いている席は10席もないようだ。私の隣りには、ポーランドから日本に向かう男性が座っている。ドイツ語はできないというので、特に会話らしいことはしなかったが、お手洗いに立つときに、少しだけ話をした。飛行機はシベリア上空を順調に東ヘと向かっている。

東京には定刻に着いた。あたり前のことだが、飛行機を降りただけで暑い。空港内に入っても蒸し暑さを感じる。この時期でも、まだ最高気温が30℃近いというのは、なかなか辛いものがある。ケルン中央駅では、冬物の薄手のコートを着ている人がいたから、いかに温度差が違うかがわかる。東京で冬物が必要になるのは、まだまだ先だろう。

到着後、空港内で少し休憩してから都内に向かう。あいにく私は、日本以外のアジアの国を尋ねたことはないので、こんなことを言うのも憚(はばか)れるのだが、東京はアジアを代表する都市に違いないのだと感じる。24時間、動き続ける躍動感が伝わって来る。たかが東京、されど東京。午後の少し遅い時間から再始動である。

満席移動 その1 2012.09.17

早朝4時起床。荷物は昨日のうちに、ほとんどまとめてしまったので、出発の準備にはそれほど時間はかからない。机の上を整理し、冷蔵庫の中も片付ける。食べ切れなかった食材を捨てるのはもったいないが、致し方ない。ついでに紙ゴミも裏庭のコンテナに捨てる。ドイツもゴミの収集日は決まっているが、ゴミを捨てておけるコンテナがあるので便利である。

8時過ぎのバスでケルン中央駅に向かう。いつも見慣れた風景が通り過ぎて行く。駅の中にあるルフトハンザの搭乗手続きカウンターで航空券を発券してもらう。予定よりも1時間早い新幹線に乗りたいと告げると、あいにく満席だという。ただ、空席があるかもしれないから、乗車してから乗務員に訊いてみて下さいと言われた。

8両編成のスイスのバーゼル行きが定刻に入線してきた。ホームに先に止っているケルン始発と思われる新幹線も8両だから、連結して長い16両になった。後ろの8両は車両の編成が前後逆になっているとのアナウンスがある。ドイツではよくあることだ。乗車してみると、空いている席がいくつかあったので、適当に座ったら誰も来なかった。何でも試してみる。これが海外生活での鉄則である。

フランクフルト長距離新幹線駅にも定刻に着いた。搭乗券を発券してくれた女性も同乗していて、本人と同じくらいの大きさのリュックザックを背負うのを同僚の女性に助けられている。今日から2週間の休暇で、どこかに出かけるらしい。軽く挨拶をしてホームの中程まで進むと、あいにく昇りのエスカレータが故障中である。混んでいるエレベータに乗る。

荷物を預けたら25kgちょうどだった。22kgかと思っていたので、今回は3kgも外れてしまった。預け荷物の制限は23kgまでだが、今回は何も言われなかった。そこから搭乗口のCまで、いつものように長い距離を歩く。どれくらいあるのだろう。建物の中を移動するので、あまり見当が付かないが、500m以上はあると思う。いや、もっとだろうか。

母子優先 2012.09.02

小さい子供がいる友人家族とオランダのマーストリヒトに行ったときのことである。もう10年くらい前の話だろうか。市内中心部の駐車場はどこも混んでいて、止める場所を見つけるのに苦労していたら、中に子供が乗っているのに気づいてくれた男性が、いまから車を出すので、ここが空くよと教えてくれた。

ドイツもそうだけれど、オランダもまた人に優しい。いや、それは別に両国だけに限ったことではなく、欧州全体に言えるとだと思う。子供を連れた女性や子供に対する気配りは本当に感心させられる。いやそれは、高齢者、身体の不自由な人たちに対しても同じである。街の中で困っている人がいれば、みんなで助けてあげる。いや、それがあたり前だし、そうあるべきなのだと思う。

でもそれはきっと、それは普段から気持に余裕があるからできることなのかもしれない。日々の暮らしや設計に対しても、同じように余裕を持ちたいと思う。

環流独歩3周年 2012.09.01

2009年9月から書き始めた、この「環流独歩」が3周年を迎えた。といっても、8月下旬から更新が滞ってしまい、これも9月半ば過ぎに書いているから、得意気に言うほどのことではない。読んで頂いている方には甚だ失礼だが、何かためになるようなことは書いていないし、ほとんど自己満足でしかないこともわかっているつもりである。

正直なところ、書くことに何の意義があるのか疑問に感じることも多いし、その時間さえもったいないようにも思えたりもする。でも、ここに書き連ねることは、少なくとも自分の存在意義を確かめることかもしれない。書くことは自分を見つめることであり、そのときの自分を残すことでもある。

最近、その時間が急激に少なくなっているから、どこまで続けられるかわからないけれど、1日10分でも良いから、書くという時間をつくり出したいと思っている。ただ、そういった時間をつくるのは意外と難しい。いままでは、移動中のわずかな時間に書き溜めたりしたが、8月下旬からは、それもできないくらいだった。

そんな怪しい状況にある「環流独歩」ですが、これからも、どうぞ宜しくお願い致します。