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文章 視察 還流独歩 大福企画

2009年9月から「環流独歩-かんりゅうどっぽ」という標題で、日々の活動や、普段、思い描いていることを書き始めました。これは、JIA/日本建築家協会東海支部が毎月発行している会報誌「ARCHITECT」に寄稿させて頂いたときに、自ら付けた標題をそのまま使用しています。

移動などが多いため、抜けているところや、日付を遡っての更新も多々あります。また、どうしても誤字脱字や文章の詰めの甘さが出ることも多く、後日、読み返して気がついた箇所は、適宜、加筆訂正等を行っていますので、その旨、どうぞご容赦下さい。
 
加筆訂正:2012年1月1日(土)

洗濯とドイツ語 その2 2012.08.12

確かに、私がドイツのコインランドリーにいて、知らない人から急に日本語で話しかけられたら、最初は身構えてしまうかもしれない。それと同じような状況だろうか。一緒にいる女性も、私がドイツ語を話すのを聞いて、一瞬「どうして?」というような反応であった。これが街中であれば、反応は少し違っていたと思うが、ドイツ人は意外と気さくな人が多いから、私は洗濯物を取出しつつ、彼らは乾燥機に入れながら、ほんの少しだけ立ち話をした。

二人とも学生で、ゲルゼンキルヒェンにある大学に通っており、ちょうど夏休みの時期に日本へ旅行に来たという。2週間くらいの予定かと思ったら、5週間半も滞在するらしい。学生ならではの長期旅行だ。2週間ほど前に、大阪方面に着着き、京都、神戸に足を延ばしてから東京に来たのだそうだ。これから先、どこをどのように旅行するかまでは訊かなかったが、9月上旬過ぎまで、日本を見て回るという。

彼らにとって、急にドイツ語で話しかけられて戸惑ったかもしれないが、私にとっては、ほんの束の間の貴重な体験をさせてもらった。今日から夏期休暇に入るので、都心は静かになることを伝えつつ、簡単に挨拶をして彼らと別れた。そういえば、日本のことを、とても気に入ったというようなことを言っていた。その印象がこれからも崩れることなく、体調に気をつけて、有意義な時間を過ごしてもらいたいと願っている。どうぞ、お気をつけて!

洗濯とドイツ語 その1 2012.08.11

大きめの洗濯物を洗うために、朝7時過ぎに近くのコインランドリーへ出かけた。この時間であれば、たいてい誰もいないのに、今日は先客がいる。しかも大きなリュックザックを背負った外国人の男女が二人、洗濯機をすでに何台か占拠している。ただ、全部は使っておらず、3台空いているようだった。私は1台だけで十分で、残りの2台は、あとからすぐにやって来た二人の男性が使い始めて、お盆の初日のコインランドリーは、一気に満員御礼となった。

私が気になったのは、二人の男女だった。洗濯機が回っているので、よくは聞き取れないのだが、どうもドイツ語を話しているように聞こえる。洗濯している間、朝食を取に出かけようと表に出る際、女性が「ヤー」とか、「ビッテ?」などと言っているから、ドイツ語であることが判明した。ただ、何も無理に話しかけるほどのことでもないだろうと思い、何も言わず一旦、外に出た。

30分くらいして戻ってきたとき、彼らは洗濯物を乾燥機に入れ始めるところだった。私のそばで、乾燥機の使い方についてドイツ語で話しているのを聞くと、どうしても放っておけず、私は唐突にも関わらず、「失礼ですが、ドイツから来られたんですよね?」と話しかけた。私は少し控えめに、あまり大きな声では訊かなかったので、男性は私が何を言っているのか最初はわからなかったようだが、それがドイツ語であることに気がついたら、少し驚いた表情を浮かべた。

涼しい朝 2012.08.10

ここ数日、明け方に気温が下がっているようで、少しだけ涼しく感じられる。実際、窓を開けたまま寝ていたら、肌寒くて、夜中に何度か目が覚めてしまった。結局、窓を閉めて、また横になった。明け方の気温を確かめてみると、朝6時前の室温は26℃を切っている。窓を開けると予想外にも涼しい。

今年の夏は、梅雨が明けてから、それなりに暑いものの、例年にない猛暑というほどのことでもないような気がする。何だか、夏なのに変な雨も時折降ったりして、雨期が続いているような感じを受けなくもない。節電も叫ばれているけれど、電気が足りないというようなことも、ほとんど聞かなくなった。一体、どういうことなのだろうか。

空気を入れ替えるために、窓を開け放ち、ほんの少し涼しい風を取り入れながら、そんなことを考えてしまう。これからも、ものごとの本質とは何かを見誤らないで行きたいと思う。

鞄落下 2012.08.09

先日の話だが、地下鉄に乗って、ノート型のPCを開いて作業をしていたら、上の棚から鞄が突然落ちてきて、ものすごく驚かされた。さすがに声までは出なかったが、近年、稀に見る不意打で、一瞬、息を飲み込んだまま固まってしまった。幸いにもPCが壊れることはなかったから良かったものの、モニターが逆方向に曲がって壊れたり、画面が割れたりすることだって十分に考えられる状況だった。

ともかく、落ちてきた鞄はそれほど重くはなかったようで、当ったPCにも問題がなく安堵したのだが、さらに驚いたのは、鞄の持ち主が私に何も言わないことであった。最近でこそ気が長くなった私だが、さすがに一言あっても良いのではないかと思い、下からその男性を見上げた。そのときの私の顔は、おそらく相当な怒りの表情をしていたと思う。「あの…」と言いかけたとき、小声で「すみません」と返してきた。どことなく仕方ない感じの言い方だった。

私が逆の立場であれば、おそらく平謝りをして、まずはPCが壊れなかったかどうか確かめると思う。でも、その男性は特に何もせず、何ごともなかったかのように立っている。行き場のない気持が渦巻いたままの私に、隣りに座っていた男性が「何もなくて良かったですね」と言ってくれた。「あ…、はい」。同情してくれたにもかかわらず、私は無愛想な返事をしてしまった。鞄を落した男性は、二つくらい先の駅で降りて行った。

それにしても、PCが壊れなくて本当に良かった。万一、使えなくなってしまったら、一体、どうなっていたのだろう。それ以来、荷物を網棚に上げる人が前に来ると、この事件が頭を過(よぎ)って、落ち着かなくなるのである。逆に自分が同じ立場になるかもしれないから、くれぐれも気をつけようと思うのである。

建築主の事務所視察 2012.08.08

先日、「ドイツ的片付け論な夜」について書いた。そして、ドイツの設計事務所に勤めていたときのことを想い出した。建築主から指名を受けた設計競技に参加したとき、週末に関係者が事務所を視察に来るというので、所長から事務所内を片付けておくようにとの指示があった。

私が思うに、普段でさえ奇麗な執務空間だったから、これ以上、どう片付けるべきなのかやや戸惑ったが、同僚たちはまたかというように、机の上から書類という書類を片付け去り、事務所内は出来過ぎなまでに整頓された。ただ今度は、あまりにも整然とし過ぎているので、スケッチや図面を適度にちりばめたりして、少しだけ雑な感じも残した。

日本の実情までは詳しくないが、ドイツでは、設計競技を行なう建築主が事務所の様子を見に来るということは、それほど珍しくはないはずだ。それが結果にどう反映されるのかどうかまではわからないけれど、設計の現場を実際に見に来るというのは決して悪くないことだし、むしろ互いに取って望ましいことではないかと思う。

不意の来訪者があっても、躊躇することなく見せられる空間を常に維持するためには、日頃から意識していないとできないことだ。ドイツの人は自宅を見てもらうことに抵抗のない人が多く、逆に見せたいと思っている人も少なくない。そんな環境だから、どこを訪問しても理路整然とした、透明感さえあるような空間が広がっているのだろう。

できる限り、それを見習いたいと思っている。

質問を受けた日 その2 2012.08.07

人は、質問されてから真剣に考えることも意外と多いと思う。日本で普通に生活している日本人同士では、互いに質問などしないことを、違う価値観を持つ海外からの人に問われると、答えるには難いことがなぜかたくさんある。それは楽しい内容のものもあれば、重い場合もあるだろう。この国の、過去、現在、未来に対して、はたして私は明確な意見を持っているだろうか。両親は、兄弟は、親戚は、友人は、知人はどうなのだろう。

ドイツでは、韓国からの留学生にもたくさん出会った。あえて砕けた表現を使わせてもらうなら、男性も女性も、みんな気持の良い奴らばかりだった。そのうちの二人とは、いまでも連絡を取り合う仲になった。彼らとドイツビールを飲みながら、互いの国のことをたくさん話した。互いの未来のことを語るためには、過去を振り返えざるを得ない。そんなことに触れる必要もないのかもしれないが、触れないと深く知ることはできない。

ドイツ語を通じて、彼らとアジアの歴史を語り、互いの国の良いところと、負の面について議論した時間というのは、もう10数年前のことになるけれども、いまにして思えば、実に貴重な経験だったと思う。実直に話したところで喧嘩になることもない。むしろ、何にも増して楽しかった。そして、戦争を体験した世代と、いまの世代との間には、過去の歴史に対する認識も大きく異なっていることも伺えた。

ドイツに来て思ったことは、日本も韓国も台湾も中国も、その他のアジアの国は、欧州から見れば、所詮、極東の国にすぎないということなのだ。いがみあっても何も生まれない。困っていれば助け合い、楽しいことや嬉しいことを共有する。それは何もアジア人同士だからではない。もちろん場合にも寄るけれども、自分の国を遠く離れてドイツに来た者同士は、何かあったときには仲間意識が強くなる。

毎年、この日を迎えると、その日のことを必ず想い出す。そして、多くを語り合った日のことに想いを巡らせてしまう。それは過去を振り返ることではない。未来を考えることにつながるのではないかと強く思うのである。

質問を受けた日 その1 2012.08.06

ドイツに渡って、本格的にドイツ語を習い始めた頃、ある質問を受けた。それは1998年の8月6日であった。

その日の朝、スペインから来た同じクラスの女性が何気に質問してきた。「日本の人なら、今日は何の日か知ってるよね?」。突然訊かれても答えに窮してしまう。今日は何日だったか…と思い出そうとする私に向かって彼女は言った。「広島に原爆が落とされた日よ。知らないの?」。事実ではあるが、重い問いかけである。いまにして思えば、彼女は朝のテレビを見たか、あるいは新聞を読んでから学校に来たのかもしれない。

そのあと、今度は中国の女性から次の質問が浴びせられた。「戦争中、日本が中国にしたこと、あなたは知ってるかしら?」。学校では習わない昭和史については、関連する書物も読んできたつもりだし、ある程度は答えられる状況ではあった。日本を離れるにあたって、そういったこともあるだろうと考えていたから、日本の過去については、浅学ではあるものの、それなりの私見を述べた。

彼女は、私が自分の意見を含めて答えたことに対し、少し驚いた様子であった。そして質問は続いた。「日本では、戦争のことは学校で習わないと聞いたけれど、あなたはなぜ知っているのですか?」。「習わないからこそ、自分で本を読んだり、調べたりしたんだよ。日本の人もいろいろだから、国の対応と個人の意見が大きく異なることは決して少なくないと思うよ」。眼鏡の奥の目を吊り上げるかのようにして訊いてきたその若い女性は急に静かになった。

この話を書くと、嫌悪感を示す人がいると思う。しかも私にとって、誰もが見ることのできるこの場において、こういったことを書くのは危険過ぎるかもしれない。それは言うまでもなく、日本人の特に昭和に対する対外的歴史観は人によって大きく違うことが多いからだ。でも良く言われるように、海外へ行ったときに嫌がられることは、自分の意見を持たないことである。大袈裟に言えば、口論になっても良いから、自分の考えを示すことが極めて大切なのだ。

ドイツ的片付け論な夜 その2 2012.08.05

その指摘に頷きつつも、日本の諸空間は、どこもドイツほど大きくはないのは事実だ。ただ、それを言い訳にして良いものだろうか。その友人はさらに続ける。日本の人は、食事や身だしなみには、とても気を使うのに、住まうことに対しては、なぜに本質を突くようなことを追求しないのか。その点に関しては、ドイツと正反対だと言う。

その本質とは、長く使うものへのこだわりや、居住空間に求める温熱的快適性、あるいは化石燃料の消費といった視点であろうか。日本とドイツでは、それらに対する意識の差が大きいのではないかと彼は長年にわたって感じている。僭越ながら、多少なりともドイツのことを知っている私だから、そんな話を受け入れることができるのかもしれない。

そういえば、年末の大掃除の話になった。整理の行き届いたドイツでは、年末に片付けるという作業はない。溜ったものを捨てて、清々しい気持で新年を迎えるというのは日本の大切な慣習だとは思うが、普段から、整頓を心掛けていれば、年末に大量のごみが発生することもない。

そういったことが自ら実践できているかどうかは自信がないが、新しいことを取り入れるためにも、身の回りは奇麗に保っておきたいといつも思っている。繰り返しになるが、「人生の半分は片付け」という、このことばに、ドイツのあらゆる面が凝縮されているように感じられるのである。

そして、自分の気持の中にも、新しい何かを積極的に取り入れたり、あるいは感謝、愛情、怒り、不安といったものを大きく、そして柔らかく受け止められるような大きな隙間をつくりあげておきたいと思う。はたしてできるだろうか・・・。

ドイツ的片付け論な夜 その1 2012.08.04

都内某所にてドイツ人の友人と会う。知り合ってから、6、7年くらい経つだろうか。彼は基本的にドイツ在住だが、年に5、6回、日本に来て、数週間滞在し、そしてまたドイツに戻るという生活を続けている。いつもは、日本中をくまなく動き回っているのだが、今回は、わずか10日間だけで、しかも東京が中心だという。

互いの近況報告のような感じで始まった男二人での懇親会は、周りから見ると少し奇妙に映るかもしれ合い。というのは、彼は日本語を話し、私はドイツ語で返すからだ。それでも何の問題もなく会話は進んで行く。そして話題は次第に、日本とドイツの何が違うかという話になる。これはいつものことだし、既にここでも何度か書いた。

そして毎回のごとく、住まうということの本質は何なのかというような簡単には答えの出ない話へ展開する。かつて15年近く日本で暮らしていた彼は、両国間の違いを知りつつも、未だに埋められない溝があると感じている。それをここに書いて良いものかためらわれるが、敢えて書かかせてもらうと、その一つは、何のことはない「片付け」だという。

それについては、私もいままで何度も書いてきたし、巷では「片付け術」や「捨てること」で生き方を変えるというような機智に富んだ情報が溢れている。そんな状況において、整理整頓をさせると世界一ではないかと思われるドイツ人から、「住むことの質」と「片付け」について直接指摘されると非常に耳が痛い。

彼は普段は言いたくはないけど、実は心の中でいつもそう感じているという。日本の生活空間や職場には、片付かないものがたくさんあって、それが実にもったいないと…。そういった環境では、余裕のある生活はできないし、仕事も良い成果が出せないのではないかとさえ言う。「人生の半分は片付け」という諺がある国の人は手厳しい。

8月の朝 2012.08.03

今年も8月に入った。この時期、明け方の何とも言えない気だるくて温(ぬる)い時間帯が、嫌いでもあり、意外と好きだったりもする。夕べの熱気が取り払われず、そのまま翌日へと残り、それが何日も続く中で、夏のなま暖かい空気が徐々に鬱積し、地表面に沈滞しているような。そんな感じさえ受ける。何と言うか、ぬぐい去れないままの夏のだるさが積層構造になって溜っているようにさえ思われるのだ。

この季節、東京の街を歩くと、いつもそう感じてしまう。そして、この蒸暑地域において、建築はどうあるべきなのか、その解はどうあるべきかなどと考えてしまったりするのである。