理念 建築 略歴 連絡
文章 視察 還流独歩 大福企画

2009年9月から「環流独歩-かんりゅうどっぽ」という標題で、日々の活動や、普段、思い描いていることを書き始めました。これは、JIA/日本建築家協会東海支部が毎月発行している会報誌「ARCHITECT」に寄稿させて頂いたときに、自ら付けた標題をそのまま使用しています。

移動などが多いため、抜けているところや、日付を遡っての更新も多々あります。また、どうしても誤字脱字や文章の詰めの甘さが出ることも多く、後日、読み返して気がついた箇所は、適宜、加筆訂正等を行っていますので、その旨、どうぞご容赦下さい。
 
加筆訂正:2012年1月1日(土)

試用期間 その2 2013.04.06

ここでわかったことは、試用期間というものが、雇用する側だけに都合の良いものではなく、採用された人にも同じ権利が与えられているということなのだ。つまり、一対一の関係に過ぎないのである。社員の入れ替りが激しい会社ならあてはまらないのかもしれないが、試用期間とはいえ、日本の場合、数か月で会社を辞めるとなると、その理由はともかくとして、厳しい視線が向けられることになるのではないかと思う。ただ、それは私の勝手な見方かもしれない。

実のところ、私はドイツの雇用における契約形態については、あまり知らない。カッセルとケルンの事務所にいたが、労働契約について詳細な書類を確認したかどうかも、よく覚えてはいない。だから正確なことは言えないのだけれど、数か月で辞めた同僚を見て気がついたことは、試用期間というものは、会社から見られるだけではなく、社員も会社のことをよく見て、そして試す期間だということだ。要は互いに見られているのである。

いま書いたことは、無論、自分にもあてはまる。ただ、いまやどこの会社にも属していないから、会社と社員という構図にはならないけれど、だからこそ、仕事だけでなく私的なお付き合いも含めて、いろいろな方から、いつも見られていることを意識するし、常にそうでなければならないのだと思う。それは自分をよく見せようと、頑張って格好をつけることではない。自然体でありながら、常に適度な緊張感を持って行動することなのかもしれない。

もしかしたら、これから先も毎日が試用期間だといえなくもない。そんな気持を持ち続けられるかどうかわからないけれど、何だかそう感じたりするのである。

加筆訂正:2013年4月9日(火)

試用期間 その1 2013.04.05

ケルンの設計事務所にいた10年ほど前のことである。せっかく採用されたにもかかわらず、2か月もしないうちに辞めてしまった同僚がいた。ドイツにも試用期間があって、日本と同じ3か月としている会社が多いと思う。あるいは6か月というとこともあるかもしれない。ただ日本では、その間に社員不適格と評価される人は、それほど多くはない気がするし、ましてや自分から辞めるという人も、かなり少ないのではないだろうか。

日本のすべての会社の実情まではわからないが、社員として採用されれば、試用期間中でも、基本的には本採用と同等と見なしている企業が多いといえるかもしれない。最近では、契約社員から社員への昇格の難しさが取り沙汰されているから、入社したら、周囲から認められるよう努力し、早く新しい環境に馴染もうと心掛けるのは、ごく普通のことであろう。

その同僚から、来週で辞めると聞いたとき、私は素直に驚いた。しかも、その判断が事務所側の都合ではなく、本人が決めたと聞いて、私の驚きは倍増した。彼の言い分は簡単だ。この事務所よりも給料が良くて、通勤時間が短くて済む別の事務所の採用が決まったからだという。それを聞いて、私は「さすが合理的なドイツ…」と密かに心の中で唸った。周りの同僚たちは、「おめでとう」「もう卒業かよ」などと冗談を言い合っている。でも、なぜか複雑な気持ちの自分。

昔の写真 2013.04.04

恩師の宿谷先生が、5月で還暦を迎えるというので、お祝いの会を開くという連絡が数日前に来た。贈る言葉のほかに、想い出の写真も添付したいという。朝、少し早めに起きて、本棚に入れっ放しになっている写真を久しぶりに取出してみた。5枚組のアルバムが10冊以上もある。手に取って中を見たのは、一体いつ以来だろう。少なくとも6、7年くらいは目にしていない写真ばかりだ。いや10年振りくらいかもしれない。

こういう昔の写真というのは、見始めない方が良いとわかっているのだが、宿谷研究室にいたときの3年間に撮った写真が、どのアルバムに入っているのか探してみようという軽い気持で、まずは一冊目に手をつけてしまった。そこには、遠い過去の自分や友人が写っている。昔の自分との対面だ。あたり前のことだが、写真の中の自分はとてつもなく若い。ふざけて撮った写真は恥ずかしくもあり、懐かしくもある。

時間がないので、数冊だけ見て出かけた。昨日とは打って変わって、気持よく広がっている青空を見上げながら、いつの間にか、相当な時間が経っていることを改めて感じた。それと同時に、昔の写真は見ないことにこしたことはないとも思った。恩師に贈る記念の写真を探してみようとは思うが、何だか探したくないもう一人の自分がいたりするのである。なぜなのだろう。その中に写る昔の自分と、いまの自分を比較してしまうからだろうか。そんな面がないとはいえないかもしれない。

過去の写真を見るのは、面白くもあり、また逆に意外と辛い面を持っている気がするのである。

春の長雨 2013.04.03

昨日から春の雨が降り続いている。外出するにも鬱陶しい感じの降り方だ。この雨は昼過ぎまで続くらしい。10時過ぎ現場に向かう。いつもは歩きなのだが、今日は雨が強いので、地下鉄で最寄駅まで行く。2階から4階までの床はでき上がっているが、屋根はまだかかっていないから、一階まで抜けている階段室には滝のような雨が時折落ちて来る。現場の中で傘をしていても、上着は濡れるし、靴にも水が染み込んで来た。いつもなら写真を撮るのだが、今日はやめておこう。

憂鬱な雨になったけれど、桜がほぼ咲き終わり、これから新緑の季節を迎えるから、葉を大きく広げるための大地への水分補給と考えよう。雨は地球にも人間にも、なくてはならないものだ。明日からは、また晴れて暖かくなるという。

新年度 その2 2013.04.02

では、卒業式は行なわれないかというと、学位授与式を行なう大学も多いようだから、それが卒業式だと言えなくもない。私も出席して修了証を受取った。特に建築学科は、卒業試験を指導した教授のいる研究室ごとに卒業パーティーをやったり、あるいは入学時期が同じだった仲間と卒業を祝うということは、ごく普通に見られる光景である。

ここで、何にも増して特筆すべきことは、卒業してから職を探す学生が大半だということだ。中には学生時代にアルバイトをしていた会社に、そのまま就職するということも実際にあるけれど、大抵の場合、学業を終えてから仕事を探し始めるのが、ごく一般的といって良いのではないかと思う。だから就職する日など決まってないし、入社式など行なう必要もない。

日本でも中途採用というのが一般的になりつつあるし、新年度から会社に勤める人だけではないはずだが、それでも「晴れて今日から社会人」というのが4月の恒例になっていることは確かであろう。それが良いとか悪いとかは分からないが、先日も書いたように、桜の季節に卒業や入学を迎えるというのは、素敵な慣習だとも思う。

それに対し、言い方は悪くなってしまうが、入学時ははともかくとして、自分で考えて、好きなときに卒業して、それから就職先を探して、同期といえる仲間がいないまま就職する機会の多いドイツでは、学んで仕事に就くまでの流れや環境が、日本とまったく異なっている。

どちらが正しいというわけではないが、日本の制度も、もう少し柔軟にする方が良いのではないかと、この時期になると思ったりするのである。

新年度 その1 2013.04.01

今年は、新年度の開始が月曜である。こういうのを切りが良いというのだろうか。それとは関係なく、今日は多くの会社で入社式が行われているのだろう。大規模な会社であれば、数百名を超える新人が入って来るだろうし、小さい会社なら、数人とか、あるいは一人なんていう会社もあるかもしれない。あるいは誰もいない場合もあるだろう。

夕方、事務所の近くを歩いていたら、若い男女の集団をいくつか見かけた。着慣れてない感じがいかにも新人に見える のは致し方かないだろう。自分も同じだったはずだ。入社式が終わったあと、歓迎会でも行なわれたのか、あるいは新人同士で飲みに出たのかもしれない。初々しくもあり、その一方で、何だか妙に浮いた雰囲気も感じられる。

そういえば、ドイツには入社式などはない(はずだ)。夏学期と冬学期に分かれているし、休学したとしても学費は払わなくて良いから、半年や一年近く、あるいはそれい以上の期間を大学から離れて生活する学生も少なくない。だから、どちらの学期をもって卒業するかは本人次第だし、日本のように4年で卒業などと決められているはずもない。

私の記憶違いでなければ、そもそも大学には入学式がない。あるとすれば、おそらく入学時における説明会のようなものであろうか。私の場合、大学に最初の学期から入学したわけではないので、詳しくは知らないのだが、大抵の場合、入学記念パーティーのようなものが開かれている。二学期性だから、無論、年に二回開かれる。

移動の季節 2013.03.22

夜の八丁堀を歩いていたら、飲み会を終えたところなのか、同じ会社と思われる人たちが歩道に溢れていた。いや、そんなに多くはなかったが、15人くらいはいたと思う。ほんの少しだけ通りかかっただけだから、詳しくはわからないけれど、それでも聞こえて来る会話から、転勤になる人の歓送会だったようである。

「大阪に遊びに来いよ。いつでも待ってるよ」。少し白髪の混じった男性が、部下のような人たちに囲まれている。若い女性が、「今度、行きま〜す」と答えると、「出張で、いくらでも会えますよ」と若い男性が言う。私が通り過ぎるほんの僅かな時間に、その人たちを取り巻くであろう、いろいろな事情が何となく垣間見える。転勤になる男性は単身赴任なのだろうか。そんな余計なことも考えた。

4月まで、もう間もなくである。この時期は新たな生活を始める人が多い季節だ。そして、これから国内を移動する人が増える。20年以上も前、東京に出て来た自分も同じだった。いまにして思えば、何も考えていなかったけれど、東京で始める新しい生活への期待は大きかったように思う。歓送会を終えた人たちに出会ったら、東京で暮らし始めたときのことをふと想い出した。

子供と夜桜 2013.03.21

今週の火曜のことだから、2日前になる。

夜の8時過ぎ、地下鉄の八丁堀駅から外に出て、近くの公園を通り抜けようとしたら、日が暮れているにもかかわらず、子供たちの歓声が聞こえて来た。普段は、こんな時間に子供を見かけることなどないのに、今日は公園内を駆け回ったり、自転車を乗り回している子供がたくさんいる。

何か子供向けの催し物でも行なわれているのかと思ったら、近くの桜の木の下で、花見をしている集団がいることがわかった。公園内は少し暗いので、よく見えないのだが、遊び回る子供の母親と思われる人たちのようである。隣りに幼稚園があるから、そこの園児とお母さんたちのように見える。もしかしたら、明日から春休みなのかもしれない。

ここ数日、急に気温が上がったせいか、都内の桜は一気に開花して、今週末には満開になるらしいと聞いている。でも、今日はまだ三分咲きといったところだろうか。でも、夜になっても気温が高いし、他にも缶ビールを呑みながら、歓談している何人かの男性を見かけた。呑み方はどうであれ、桜を見ながら春を感じるというのは、粋なことなのかもしれない。

子供たちの歓声と、ほろ酔い気分の人たちに囲まれた桜の木を見たら、少し張りつめた気持が緩やかになった気がする。

直通運転廃止 その2 2013.03.20

おそらくだけれど、東急東横線の渋谷駅には、あまり歴史を感じなかったからだと思う。学生の頃は頻繁に利用していたときのことを想い出しても、渋谷駅に愛着を感じたということはなかった。だから、東急の渋谷駅が廃止になると言われても、ほとんど実感が沸くことはない気がする。

でも、よく考えてみたら、日本中の駅の中で、なくなってしまうと残念とか、悲しいという気持になる駅は、果たしてあるだろうか。別に欧州に見られるような重厚で、歴史ある石造の駅を求めているわけではない。強いて挙げれば、改修された東京駅は別格としても、保存建築に該当するような駅は、ほとんど思いつかない気がする。

ともあれ、いろいろなものの動きが早くて激しい東京だから、あっという間に新しい駅ビルが建って、いままでの渋谷駅など、陰も形もなくなってしまうのであろう。それは躍動感のある東京の魅力の一つでもあり、また逆に捉えると、歴史という長い時間を携えた空間が、一気に失われて行くことを意味するのではないかと思うのである。

直通運転廃止 その1 2013.03.19

先週の土曜の話で恐縮なのだが、日比谷線で移動するとき、接続の関係から利用することの多い菊名行きを待っていたら、中目黒行きがやって来た。東急東横線が副都心線に乗入れるのに合わせて、日比谷線との直通運転が昨日で終了したのだ。乗換のときに時刻表を調べてみたら、確かに菊名行きがなくなっている。

この話は、数週間ほど前に知人から聞いていたし、インターネットでも調べてあった。個人的には、取り立てて残念だとか、何か言いたいことがあるわけではないが、これまで、平日や週末の昼間に30分間隔で運行していた菊名行きに乗って、そのまま自由が丘に行くことが結構多かったので、少々、残念ではある。

それよりも巷では、東急線の渋谷駅が使われなくことが大きく取り沙汰されているようだ。行き止まり式の駅で不便に感じられるかもしれないが、85年という歴史を携えているわけだから、あえて残すべきではないかという意見もあるとは思う。私はどちらかと訊かれたら、実は明快には答えられない。どうしてだろう。