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2009年9月から「環流独歩-かんりゅうどっぽ」という標題で、日々の活動や、普段、思い描いていることを書き始めました。これは、JIA/日本建築家協会東海支部が毎月発行している会報誌「ARCHITECT」に寄稿させて頂いたときに、自ら付けた標題をそのまま使用しています。

移動などが多いため、抜けているところや、日付を遡っての更新も多々あります。また、どうしても誤字脱字や文章の詰めの甘さが出ることも多く、後日、読み返して気がついた箇所は、適宜、加筆訂正等を行っていますので、その旨、どうぞご容赦下さい。
 
加筆訂正:2012年1月1日(土)

西へ9000km移動 その1 2013.06.17

3時に起床。掃除は夕べ済ませた。成田空港行きのスカイライナーに乗るため、早朝5時半前の地下鉄で上野に移動する。最近はアクセス特急で成田空港へ向かうことが多かった。というのは、スカイライナーの始発に乗るよりも早く着く電車があるからだ。正直なところ、何だか変な時刻編成だなと感じがしていたが、無駄に特急料金を支払わなくても先に空港に着けるわけだから、移動に多少の時間がかかるとはいえ、その方が安上がりで便利だったのである。

夕べ、念のためインターネットで時刻表を確認してみると、いつの間にか、スカイライナーの始発が早くなったらしい。以前は06:30発が一番早かったはずだが、それよりもさらに早い05:58発というのがあることがわかった。これに乗れば、いままで乗っていた特急よりも、15分くらい先に着く。時間的にはわずかの差だが、週明けの月曜の朝だし、念のため、少しでも早めに着いておきたいので、久しぶりにスカイライナーを利用してみることにした。

切符売場には男性が一人いた。以前は、いつも窓口で購入していたのだが、今日は初めて自動券売機で切符を買ってみることにする。上を見ると残席数が表示されている。そんなものがあったとは気がつかなかった。そこには332席と出ている。こんな朝の早い時間に、あと300人も乗って来るとはとても思えない。私が切符を買ったら表示は331に変わった。わずか1分ほどだったが、その間に切符を購入した人は誰もいなかったようだ。

電車は定刻通りに出発した。今日は曇っているので、発車して間もなく右手に見えて来るスカイツリーは、下から半分くらいしか見えず、展望台は雲の中であった。上に昇れば、もしかしたら雲海が見渡せるということもあるのかもしれないが、今日の曇り具合では期待できないだろう。こういう天気の場合、やけに高いというのも実に問題である。そんなことを考えつつ、メールの返信を書いたりしていたら成田空港に着いた。

掲載日:2014年8月20日(水)

帰京と現場監理 2013.05.21

昼前の便で東京に戻り、そのまま現場に向かう。内装工事との最後の調整を行なうためだ。1階のイタリアンレストランの開店日は6月11日(火)と決まっている。建築本体のA工事は終わっているが、内装工事との取合いがあるので、どうしても立寄らざるを得ない。開店まであと20日。どうにか終わらせたいと思う。

掲載日:2014年8月20日(水)

静寂の支笏湖 2013.05.20

朝から、あいにくの雨模様である。天気予報では曇りであったが、傘が必要なくらい降っている。目の前の太平洋はかすんでいて、視界は500mくらいだろうか。昼前、白老(しらおい)から伊達市大滝へ抜ける、白老大滝線に通称「ホロホロ峠」を越えて、支笏湖へ向かう。途中、残雪があったが、何の問題もなかった。

支笏湖畔には「苔の同門」と呼ばれる名所があるが、まだ開いていない。小学生の頃、キャンプに訪れたモーラップ野営場にも立寄ってみたが、食堂に女性が一人いるのが見えるものの、それ以外、まだ誰も見かけない。実に静かである。北海道にも春がやって来たけれど、冬の余韻がまだ残っている。

掲載日:2014年8月20日(水)

もてなし 2013.05.19

移動前に墓参りを2か所ほど済ませる。つい先頃まで、雪に埋もれていた墓地にも、緑の季節がやって来ていた。側溝に溜った雪解け水の上には、アメンボが何匹もいる。水面張力を使って身体を沈まないように支え、瞬時のうちに水の上を移動できることに改めて驚愕する。彼らは一体どうやって進化して来たのだろう。しかも、雪に埋もれた冬を、どのようにして乗り越えているのだろうか。そんなことを考えながら、しばし、アメンボの動きに見入ってしまった。

昼過ぎ、室蘭方面へ移動する。途中で昼食を取り、登別にほど近い某所に到着する。詳しいことは割愛して申し訳ないが、素晴らしいもてなしを受けた。これまで訪れた宿泊施設は、それほど多くはないが、その中でも最高級に位置づけて良いだろう。もてなしも温泉も素晴らしい。「何もないところなのに、ここにはすべてがある」。いや、もっと簡潔に言い換えれば、「何もなくても、すべてがある」。そう感じさせてくれる極上の空間である。

掲載日:2014年8月20日(水)

春遅き北海道 2013.05.18

羽田空港を夕方に発つ便で千歳に向かう。昨年末以来だから、5か月振りである。到着前に機内アナウンスがあった。「先日、札幌でも桜の開花宣言がありました。皆さま、春の北海道を、どうぞお楽しみ下さい」というような内容だった。例年、5月の連休が開ける頃に桜が咲き始めるのだが、今年は過去2番目に遅い13日である。まだ気温が低い日が続くようだから、満開になるのにも時間がかかりそうだ。珍しく空港内で食事を済ませて駐車場へ向かう。やはり寒い。気温は10℃くらいだろうか。

何度となく通った道を、今日も同じように車を走らせる。空が広い。「密」の東京から、「疎」の北海道へ。環境はまったく違うのに、そのどちらも簡単に受け入れられてしまう自分がいる。でも、こうして故郷と呼べる場所があるのは、実に幸せなことなのかもしれないと最近になって、より強く思うようになった。そして、寒さの厳しい北海道に生まれて良かったとさえ感じる。郷里を離れて久しいけれど、こうして戻って来ると、子供の頃に、帯広と釧路で体験したことが、ふと蘇って来たりする。過去の引出しが開くとでもいうのだろうか…。

8月のお盆まで、3か月。この僅かな間に、春と夏が詰まっている。今年は冬が長かったから、穏やかな夏になることを祈る。

掲載日:2014年8月20日(水)

愛用の文房具 その3 2013.05.07

シャープペンシルは、小さな工業製品の一つである。その大きさはともかくとして、この一本には何かデザイナーの思いが込められてるように思われてならない。もし開発に携わった人に会えるのなら、このデザインに行き着いた経緯や背景を教えてもらいたいと思うし、御礼さえも言いたいくらい思い入れのあるシャープペンシルなのだ。建築士の試験も一緒に乗り越え、退職前についになくしてしまったと思っていたときに、丸めた青焼きの図面の中から舞い戻って来たりもしてくれた。ドイツでの生活もいつも一緒だった。たかがシャープペンシルなのに、そこに込められた私の思いは深い。

使っているものを改めて見渡してみると、長いお付き合いになっているものがたくさんある。特に製図用具だろうか。普段は手にしなくなったものの、三角定規や勾配定規、コンパスなどは、捨てられずに手元に残ったままだ。T定規など、その最たるものだろう。これから先、一体、いつ使うのかと考えると、実に無駄なものを所持していることになる。そう言えば金属製の巻き尺は、父親からもらったものだ。無骨なハサミは、亡き祖母が内職としていた裁縫のときいに使っていたものだから、形見でもある。

若いときにはお金がないから、高くて良いものは買えないのが普通であろう。自分自身も同じだった。でも改めて考えてみると、たくさんの安いものに囲まれるのではなく、数は少なくて良いから、それなりの対価を投じて、良いものに触れて行きたいと思う。うまくことばに表すことができないけれど、単純な表現を使えば、やはり長く使ってきたもの、これから長く使えるものと一緒に生活を共にして行くことが大切な気がしている。それは人の価値観によって大きく異なるから、一概には決めつけられないが、今回、そんなことを感じた。

それにしても、あと20年経ったら、自分は一体いくつになるのかということを改めて考えると、愕然としてしまうのであった。

加筆訂正:2013年8月10日(土)

愛用の文房具 その2 2013.05.06

20年も前に買ったのと同じものがあるとは思えないという気持が先走ると、そんな諦めの気持が先行するのだろうか。やっぱり見つからないなと思いが強くなったとき、ふと見覚えのある黒いシャープペンシルの塊が見えた。まだあった! 声には出さなかったものの、少し飛躍した表現を使えば、絶版になった本を古本屋で見つけたかのような驚きや喜びと同じような感覚だった。普段はあまり製品の紹介などしないのだが、ここは敢えてお伝えしておきたい。その一本とは、「Pentel/ぺんてる GRAPH 1000 for pro 0.9/PG1009」である。何本か芯の出方を確認し、堅くて奇麗な音が出る一本を購入した。

それにしても、しっかりとデザインされたものは、長く生き残るということを改めて実感させてくれた。金額にして一本1050円である。決して安くはないが、長く使うことを考えると高いはずなどない。実際、20年も使ったのだから…。他にもステッドラー社の製図用のもあった。こちらは1250円だっただろうか。でも、あまり好みではない。他にも安いものが溢れているけれど、どれも手にしようとは思えない。個人的には私が手にしているものの方が一番格好が良いと勝手に思っている。この一本には、そう思わせてくれる何かがある。

私はシャープペンシルのデザインなどしたことがない。ないけれど、新しいのを手に持ち、その形状やデザイン、重さ、持ちやすさなどを確認すると、実によく考えられている一品だと思う。私の手元から忽然と消えてなくなってしまったシャープペンシルは、一部が剥げたり、落したときについた傷が残ったりもしていたが、それ以外は何の問題もなかった。指が当る部分にある滑り止めのゴムも、まったく劣化しなかったという驚異的な製品である。だからこそ20年間も、いやおそらくもっと長く、つくり続けているのだろう。でも、一体、年間に何本売れるのだろうか…。

加筆訂正:2013年8月10日(土)

愛用の文房具 その1 2013.05.05

最近のことなのだが、20年近く使っている愛用のシャープペンシルが、いつの間にかなくなってしまった。同じく15年ほどの付き合いになる革の筆入れに入れて、いつも持ち歩いていたのだが、いつの間にか、どこにも見当たらなくなってしまった。上着の内ポケットに入れたままになっているのではないかと思い、思い当たる何着かを探してみたが、やはり出て来ない。机の上に何枚も重なっている書類の間も探したが見つからない。何度もなくしかけては、その度に出て来てくれたのに、今回は、どうも無理なようだ。

誰にでもあてはまるかどうかわからないが、長年、使っているものが手元からなくなると、妙に落ち着かないということがあると思う。私にとって、その一つが、そのシャープペンシルだ。芯の太さが0.9mmだから、普通の人は滅多に手にしないのかもしれないが、その太さにもかかわらず、書きやすく、また簡単な絵を描くにも重宝する一本であった。いつ、どこで買ったのか、いまになってはまったく思い出せないが、手元から消えてしまったのは実に悲しいことである。代用になるものは、あいにく持ちえていない。

ついにしびれを切らして、銀座にある有名文具店に足を運んだ。言うまでもなく伊東屋である。ここになら、あるかもしれないと思ったからだ。でも、もしなかったら、その代わりとなる一本をどれにするか決めかねて、結局、買わないかもしれないという一抹の不安もあった。そして、無数にシャープペンシルが並ぶ棚の前に来た。あいにく、先客の女性が一人立っていて、製図用と書かれたところがよく見えない。しばらくして、その人がいなくなったあと、0.9mmのところを探した。でも、愛用のシャープペンシルらしきものは見当たらない。

床掃除と原稿書き 2013.04.08

低気圧が去って、朝から青空が広がった昨日の日曜日、久しぶりに掃除をした。ずっと気になりつつ、できなかったのが、床の水拭きである。ほぼ毎日、床に溜る埃は掃除しているのだが、交通量の多い道路が近いせいか、手で床をこすってみると、目に見えない小さな粉塵のようなものが指に付くのである。こういった環境で生活しているということは、普段から、そんな微粒子のようなものを。自然と肺に吸込んでいるのだと思われる。どう考えても不健康だ。

そのあと、溜めに溜め込んでいる原稿書きを済ませる。今日は絶対に書き進めなければならない。事務所近くの某所に移動し、そこで作業をすることにした。最近は、適度な喧噪の中に身を置かないと、集中できなくなった気がする。いや、実はその逆で、そういう環境に移動することで、作業が極めて迅速に行なえるのである。なかなか返事が書けないメールや先送りしてしまいたい懸案事項なども適度に進めることができる。周囲には、そういった人たちがたくさんいるようだ。

本当に集中できる人なら、場所など関係ないと思うけれど、気分転換を兼ねて、外で作業をするというのも悪くないと感じている。そう思わせてしまうのは、某系列の珈琲店の戦略に見事に乗せられているからだろうか…。

春の嵐と雨漏り 2013.04.07

今年も強烈な低気圧がやって来た。関東を直撃することはなさそうだが、それでも大雨と強風には注意が必要のようである。昨日、土曜日の午前中に現場に行った際も、豪雨と強風対策を行なうよう、お願いをしておいた。もっとも、防護網に囲まれているし、また周りには高い建物が多いから、それほど心配ではないが、何か事故が起きてからでは遅いので、油断は禁物である。

ところで土曜の夕べ、雨足が強くなるにつれて、心配していたことが起きた。年に数回起きる雨漏りが始まったのである。以前にも書いたが、雨が北側の外壁に当るように降り続くと、毎回、同じところから漏水してしまうのだ。もちろん、それは承知の上で借りているから、やむを得ない状況だし、むしろ、たまに天井から落ちて来る雨粒を楽しむくらいの余裕がなければならないのかもしれない。

大袈裟に言えば、ここは屋根を通じて、地球とつながっているということにしておこう。環境と交感とは、こういうことをいうのだろうか…苦笑。